高橋悠治『高橋悠治|コレクション1970年代 (平凡社ライブラリー (506))』読了。

1976年のフィリピンでの体験の強烈さが実に良く分かる。音楽論であると同時に、社会思想でもある。個人的には先日のSoul Flowerとかともリンクしつつ。「音楽の自己教育」の中で、所謂音楽ファンを断罪する部分(P.323)は身につまされるものがあった。

音楽愛好家たち、不特定多数、ばらばらで未組織、しかもコンサートにいくためには、音楽流通機構の要求に一様に順応する「聴衆」、具体的な要求ももたず、現実の運動から切りはなされ、生活のなかにはない「音楽」のよろこびにひたるためにきた、いわば耳だけになった、分裂した人間。

高橋悠治|コレクション1970年代 (平凡社ライブラリー (506))

高橋悠治|コレクション1970年代 (平凡社ライブラリー (506))